『感動をよんだ校長の講話』より
船と横波 −困難を恐れるな−
積丹半島の古平から余市までは、直線距離だと二十キロにも満たない。しかし、海岸道路がなかったころは、峰を登り谷を下る曲りくねった道で、三十キロにもなるという文字どおり“羊腸の小径”であった。
だから、海が相当に荒れても、船を利用する人が多かったのは、むしろ当然の成り行きであった。
* *
学生のころであった。
春休みを終えて札幌に向かう日は、前日までは運行どめをしたほどの大時化(しけ)で、うねりは気味の悪い音を出しながら防波堤をかんでいた。
出航するかどうかについての打合せは、長いこと暇どった。人命を預る船長にしてみれば、その判断に慎重であるのは当然のことである。
私は、荒波の日の航海を恐れながらも、あの山道の難渋を思い出したりして迷っていた。
しばらくして船長は、「乗船よし」と叫んだので、それにつられるように船の方を選んだ。
学生の気安さから、例によって見学を兼ねならがら船長室を訪れた。
やがて、船が港外に出たとたんにひどく揺れだしてきたので不安がひろまり、顔から血が引いていくのが自分でもわかった。その時、逞しく潮焼けした老船長が、こんな話をしてくれた。
「絶え間なく押し寄せてくる波は、みんな同じように見えるだろうが、決してそうではない。その一つ一つが違っているもので、そのうち幾つかは割合小さいのもあるし、また、幾つかは特別に大きいのもある。
俺は、こんな時化の日には、港を出たらすぐ、一番大きい横波に船の腹を打たせてみることにしている。これは船にとって最悪の状態だ。しかし、これを乗りこえたら、後は数多くの波が来ても無いと同じだ。安心と自信とが持てる。それによって余市までの船旅の無事が保障されるのだ」と――。
* * *
それから、この言葉が私の胸にやきついてしまって、何年たっても薄らぐことはない。困難に遭うと、“船に横波を――”“最悪の状態おいて――”“ 後は無いと同じだ――”の言葉が耳の奥から聞こえてくる。そして、困難に立ち向かう強い心が湧いてくるのである。